2021→2022 旅のように生きる

年末年始を初めて東京で過ごし、初めて妻と子供と3人だけで過ごした。

両親・祖父母と会わず、友達にすら会わずに気がつけば年明けを迎えた。

紅白歌合戦は一瞬見て、箱根駅伝は往路の2区までは見た。



去年は、緊急事態宣言が明けた10月以降に友達家族とよく遊んだ。

大学の頃から気づけば10年以上が経過し、お互いの子供が戯れている光景を、10年前に誰が想像し得ただろうか。



一方で、昨年の8月~9月に心身ともに参ってしまい、トンネルに迷い込んだ。

仕事も生活もままならない状態に陥ることを、その数ヵ月前の自分ですら想像し得なかった。

メンタルクライシスは誰にでも起きる。起きて初めて学んだ。

山あり谷ありな1年ではあったが、総じて楽しい期間になった。



今年もサービス/事業≒仕事に没頭した。

マーケティング・デザイン・プログラミング・ロジスティクス周りが多く、年の終盤にはリアルプロダクトにも手を出したので、例によって広範囲を横断した。

「自分は何屋なのか」と自問することもなくはないが、「PMでありBizDevであり、何でも屋である」ことに違和感はない。

もっといえば「誰よりも考えて誰よりも手を動かす人」でありたいしその実に変わりはないので、名称はその時々に都合の良い建付けがあればいい。

産業、企業、事業、ステージによって何屋にでも変化するのが自分だと思っている。



年末はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』を読んでいた。

『銃・病原菌・鉄』で有名な彼のその後の著作である。

前作以上に壮大なスケールの人類史を眺めつつ、スピッツ草野マサムネのラジオ番組「ロック大陸漫遊記」を聞きながら、途中に流れた『醒めない』を聴いていたら天啓がひらめいた。



人生は旅(≠旅人なのかもしれない

人生は何かに例えられがちだ。

人生はRPGである。という例えがあるけど、それはレベルが上がって次のステージに進んでいくという進歩史観のニュアンスがあるのであまり好きじゃない。

生き方に優劣も、勝敗も、進歩も退歩もない

旅も同じように、進歩はない。 ただの移動であり、浮浪に近い。

だけど傍観するだけの旅は物足りない。

ゆく先々の地勢、食、文化、言語に浸り切ってその世界に生きる。旅先が変われば世界は変わる。

異なる世界を行き来する、同一の人物として自らを捉える。ゆえに分かること、気づくこと、見つけられることもある。

そして旅は、結果ではなく、過程が楽しい。

数字に目が行く生活をしている中で、この先へ、もっと先へと焦る心を、強制的に道中へと戻させてくれる。

この着想と、前述の仕事における何屋でもない自分のスタイルを連想するに、人生は旅なのかもしれない。

年末年始に、2022年はどう生きようかとぼんやり考えて出た結論が「旅のように生きる」である。

少なくとも自分は、旅というコンセプトを真ん中に置くことで、精神的に楽になる。

上昇志向も必要ないし競う必要もない。

しかし怠惰に生きたいとは思わない。

色々な場所(産業、企業、事業)で多彩な景色を見たい。そのための努力はしていきたい。

旅人ではないが、旅のように生きていきたい。

あけましておめでとう。

Daichi Inoue
1990年山口・防府生まれ / Job:マーケ屋,何でも屋 / Like:日本酒,アウトドア,読書