インドア人間がアウトドア事業を続けるワケ。囚人のジレンマ/現世利益/帰巣本能の話

今の会社に入ってもうすぐ3年が経つ。

デジタルじゃなく物理が交わる仕事、都市及び都市居住者ではなく地方に関わる仕事。という観点からアウトドアに行き着いた。

3年経ったが、相変わらずインドア人間なのでアウトドアの趣味は身についていない。

にもかかわらずアウトドアの仕事はやっぱり続けたいと思えるのはなぜなのか。
自分で不思議に思ったので、今回はそこに対する仮説の備忘録。


アウトドア事業を行うということは、長期視点を持つことを要求される。

つまり必然的にサステナビリティを意識する。
※ここでは「サステナビリティ=自然環境のサステナビリティ」を意図しています

通常の事業における登場人物は、企業とユーザーとなる。
ユーザーが企業であったり政府や行政という場合もある。

アウトドアは企業、ユーザーに加えてフィールド(自然環境)が必ず必要となる。
フィールド無くしてアウトドアは成り立たないし、文字通り自然と一心同体のビジネスであるため、その自然が消えて無くならないよう、いわゆるサステナビリティを意識しながら事業を考えることになります

そもそもなぜサステナビリティが必要なのか

ここから先は、一般的に言われている論理とは異なり、完全に個人的見解です。

サステナビリティが必要な本質的理由は、
「子供や孫の世代のために美しい自然風景を残したいから」「自然環境の破壊が続くと人類までもが生きられないから」といったものではないと考えています。

結果的に美しい自然や動植物が残り、人類が存続することになるかもしれないけど。

「サステナビリティが担保される→自然の存続→ハッピー」の因果は違うのではないかと思っています。
また、何となくこういう話って自分からは遠い話というか、ともすればヒステリックor宗教のように受け取られることもあるかなと思います。

なので、「サステナビリティが担保される→人間の行動が変わる→現世利益+(ついでに)自然の存続」ではないかと考えています。

サステナビリティを担保することで、なぜ人間の行動が変わり、(将来ではなく)現世利益に繋がるのか

前提として、多くの場面において、人間の行動は囚人のジレンマに陥っていて、みんなで協力しようという関係にはなれていないんじゃないかなと思っています。
また、それはハッピーではない状況だと思っています。

※囚人のジレンマ↓
「協力」よりも「裏切る」方がお得だと思ってしまう状況。

出典:『ferret』

皆が協力し合うなどどいう理想的関係がありえるのかもわからないです。
ただ、自分だけ良ければいいという状況よりは、やっぱり協力し合える状態の方が幸福だと思うので、ゴールはそこであるという前提を置いています。

さて、では囚人のジレンマはどうやって解決できるのでしょうか

そもそもなぜ囚人のジレンマに陥るかというと、それはこの世が、この関係が、1回限りだと思ってしまうからです。

その場しのぎの施策・政策、一方的に搾取する契約、ワンナイトラブ(これは一概に悪いコトとも言えないが。。。)
これらは当事者たちが単発/短期のやり取りを想定しているから発生しうると思っています。
どうせもう会うこともない、関係が続くわけではないなら、自分都合な選択肢を取ってしまおうぜ、と普通はなるよね。

この場限りの関係性ではなく、この先何年も続くのだと思える関係性においては、自分勝手な行動はしづらく協力し合う機会が増えると思います。だってその方が長い目で見ると得だから。

つまり、囚人のジレンマを解決するためには、この世は永続的であり、人生は長期的ゲームなのだと思う必要があると思っています。

その永続性担保のために、まさにサステナビリティが必要だと思っています。

なのでまとめると、

サステナビリティが担保される→ゲームは短期ではなく永続的になる→協力し合った方が得だと思う(囚人のジレンマを突破する)→協力関係を築くという行動につながる→個々人の利益(現世利益)につながる

という、上記の理由によりサステナビリティが必要だと思っていますが、結局は人類を主語にした場合に限っての必要性だとも思っています。

つまり、

「地球の歴史に比べたらここ何万年かの人類の繁栄などとても短期間の細かい話であって、人類のためのサステナビリティなど、単なるエゴなので究極はどうでもいいのではないか?」

そう思います。
全くもって、人類が存続し続けなければいけない理由なんてないです。

なので個人的には、サステナビリティとは人類の存続のために必要である、などど言ったところでいまいちピンとこないし個々人の思想により意見の割れる話だと思っており、結局は自分の幸せにつながるから必要だと思っています。

「子供や孫の世代のために美しい自然風景を残したい」という情緒的な理由は、あるに越したことはないけど副次的であると思う。

極論、サステナビリティが無くとも人類の幸せが担保できるのであれば、サステナビリティは不要だと思う。だけど、少なくともまだしばらくは、山、川、海、そして動植物無くして人は生きられないので、一旦はいまの地球環境つまりはサステナビリティが必要なのだと解釈しています

また別の論点として、生き物の本能として種族の繁栄を願う限り、やっぱり人間として人類の存続を願うのは、まぁそんなもんかなと思います。
田舎で生まれ育った人間として、地元が消滅してしまうのは悲しい、どうにかしたい。そんな、ある種の帰巣本能みたいなものとして、結局は人類は生き延びてほしいな、とは思います。

最後に、そんな壮大な論点とは別にして、アウトドア事業を続けるすごく個人的な理由

自分は生き物や自然、地理が好きです。ですが、そういう自然・生き物関連のビジネスでお金を稼ぐのは難しいです。

動物園で働くのか?自然の研究者にでもなるのか?と問われても、なかなかそうしたいとも思えない。

自然ビジネスの現実的なマネタイズポイントがキャンプや登山、釣りであると思っています。現時点では。
だから僕個人として、その事業を手段として本来好きな生き物や自然についての好奇心を満たしていけるので、アウトドア事業を続けている。という話でした。

論理的なようで論理的ではない話を長々と書いておきながら、結局は「好きだから」という身も蓋もない話で締めます。

ご清聴ありがとうございました~

Daichi Inoue
1990年山口・防府生まれ / Job:マーケ屋,何でも屋 / Like:日本酒,アウトドア,読書