「焼き直し」という言葉は通常、ネガティブな文脈で使われる。
「この作品は〇〇の焼き直しだ」「80年代に流行った〇〇の焼き直しに過ぎない」
などという批評は作り手について回るお決まりの文句だと思う。
けれども、コンテキストデザイナーの渡邉康太郎さんが使う「誤読」や「共犯関係」という言葉のように、「焼き直し」という言葉を前向きに使うことがあってもいいのでは。
通常、アイディアは無から生まれない。
既存のアイディアの組み合わせである以上、それは焼き直しとも言えるし、焼き直しでないアイディアなど存在しないとも言える。
また、そもそも形として表れた時点でそれは作り手の脳の中からの焼き直しなんじゃないの?
完全なるオリジナルとは、作り手の脳内にしか存在しない。
それを紙なのか音なのか、映像なのかモノなのかデジタルなのかなんでもいいが、形にした時点でそれは具現化という焼き直しに過ぎない。
だからこのサイトは、日頃の疑問雑感の備忘録でもあり、日常で抱く好奇心をなるべく残した場所。つまり自分の脳内の焼き直しの場でもありたい。
そんな気持ちで、今日もせっせと焼き直す。