先日、子供が産まれた。
まずは無事に産まれてくれた子供に、そして産んでくれた妻に本当に感謝したい。
それから2週間近く経ったいま。
子育てをしていると、心が穏やかになる。
というと、きれいごと過ぎるのでその真意を言葉にしたい。
誰かの愚痴、嫌み、妬み、恨み、それらを目にして耳にして、心が荒む経験はないだろうか。 日々の隙間から、ネガティブな言葉、感情は忍び込んでくる。
だからこそデジタルデトックスだの、スマホを置いて旅に出よう、自然と触れてみようなどと喚起される。
それもいい。必要だと思う。
でも、人ひとり、自立できない命を預かってしまえば、”日々の隙間”がまず無くなる。
いやな感情も、棘のある言葉も、入り込む余地がなくなるのだ。
もっと切実に言えば、そんな余裕がまずない。
誰かの恨みつらみ悲しみアンニュイな気持ちに寄り添っているほど暇ではないのだ。(というと言いすぎだし、大切な誰かの喜怒哀楽にはいつも並走していたいし、そのくらいの余裕はまだある)
表現を変えるなら、圧倒的没入感がある。
これはある種、僕が目指している世界であり、最もつくりたい感情の類でもある。
自分にとって大切なものに全力を注いでる時、他人のことなど気にならない。それは尊い時間だと思うから。
ただ、現実的な話をすれば、自分の時間は減った。
本を読む時間は少なくなり、テレビも観なくなったし仕事もギリギリこなしてる感、というより常に追われている感はある。
睡眠も細切れなので、肉体的負荷は高い。
疲れている。
でも確実に、心は穏やかになった。少しだけど。
というわけで、子育て2週間目の経過報告。
寝不足な日々も、子供の顔を見ればがんばれる。
なんて言葉の意味も、少しはわかるようになってきた。