6/120ヵ月 | 0.5合目までの歩みと眺め

先月末で、転職してから6ヵ月が経過した。

もう半年。
我が子のこの半年の成長速度に比して、自分は何ができるようになったのかと思うと完敗を認めざるを得ない。もう半年という語彙以外が増えてない時点で自分の伸び代が怪しい。


ちなみに今月末で、社会人になって10年が経つ。

息も絶え絶えに、「この先、本当に自分は真っ当に仕事していける人間になるのだろうか」と不安を抱え続けていた日から、なんとか10年生き延びた。

不思議なことに、業種業態や組織構成は違えど、10年前と同じ規模で同じような収益モデルの会社にいま自分がいる。

いわゆる2週目とも言えるし、自分としては宿命とも思う。
当時学んだこと、得たこと、教えて頂いたことがいまの自分を支えている。
一方で、成し遂げられなかったもの、守れなかったもの、納得できなかったもの、色んな後悔や申し訳なさが未だにある。


3つ子の魂100までと言うが、当時の言葉が未だにフラッシュバックする。

「怒らないことは優しさじゃない。本当に相手のことを思うなら厳しく指摘してあげなさい。10年後感謝される人間になれ」

「お前は不器用だから、とにかく行動するしかないよ。」

「今のままやっても、5年10年経っても変わらない。生きてるのか死んでるのかわからない。胡坐かいてるようにすら見える。それじゃイヤだろ。だったら答え出てんじゃん。」

襟を正されるハッとする言葉もあれば、正直今でも嫌な汗をかかされる言葉もある。

いまになって、当時言って頂いたことが有り難いなと思う。今でもできていないことも多く内省すべき点もある。


話は冒頭に戻り、転職して6ヶ月経過した。

ビジネスを登山に例えるというのは言い得て妙で、1合目と8合目では当然、持つべき装備も組むべきパーティーも変わる。状況に応じて変化が求められる。

登れば登るほど、酸素は薄く、呼吸がきつくなる。3合目と9合目では必要な体力も違う。山頂での景色を眺めたくば、それだけの力が必要になる。

6ヶ月前、自分なりに考えていた。
「次は10年かけて取り組めることをやろう」、と。

6/120ヶ月。

ゆえに、いまだ5%。されど5%

まだまだ山頂は見えない。登れているのかすら怪しい。

でも幸いにして。そして最も嬉しいこととして、山頂での景色を共に見てみたい、と思える仲間とは出会えた。



登山というのは果てしなく疲れる。

だから、楽しく疲れられる人と登るのが好きだ。

楽しく、強く登っていきたい。

4年半の歳月が創った思い出と希望

前置き

僕が10代、20代の頃に書いた文章は多くあります。それらはインターネットの海に漂っており、サービスの終了と共に消えたものもあれば、しぶとくwebの海原を泳いでいるものもあります。
それらの文章をたまーに見返します。あちこちに書いているため、どこに何があるのか思い出せないのですが、偶然出会う過去の自分が書いた文章から、時に感ずるものもあります。
このあとに綴られている文章は、そんなone of themの日記です。誰かのためになればいいとも思うし、誰の心に響かなくとも、10年後の自分のために残しておきたい。この瞬間の記憶のカプセルとして。

4年半の概観

約4年半勤めた会社を、8月末で退職します。

長いような短いような。感覚としては一瞬でした。

せっかくなので、今思うことをつらつらと書き起こします。学びであり感想であり、思想の片鱗のメモ。

  1. 狂気と安寧のバランス
  2. 習慣、退屈、フロー理論、1/fゆらぎ。「適度なバランス」という終わりのない麻薬
  3. 子供という存在≒遺伝子のビークルとしての宿命を感じる
  4. システムに駆動されるこの肉体はクローンか?否、記憶と経験が刻む固有性
  5. いつも未来に驚かされていたい:期待なき没頭が作る希望、があると信じていたい

狂気と安寧のバランス

やりたいことは山ほどある。だからできる限り手を動かし頭を動かし足を使う。
そういう期間は苦しくも楽しい。何かに没頭できる期間は好きだ。焦燥感もあるが充実感もある。

一方で、一歩間違えばジェンガのごとくすべてが崩れ去ってしまうのではないか。そういう一抹の不安を感じていたし、それがいつどこでやってくるのかもわからないと思っていた。

実際に崩しかけたこともあった。家族が増え、関係者も増えることで生きること自体の複雑性は増すことはあれど減ることはない。

エントロピー増大の法則に支配されることなく肉体及び精神のコントロール可能性。またの名を自律性をいかに担保できるか。
狂気と安寧は尖らせるものではなく、バランスさせていくことの大切さを知った。

習慣、退屈、フロー理論、1/fゆらぎ
「適度なバランス」という終わりのない麻薬

人は習慣という能力のおかげで無駄なエネルギーを省略できる。

一方で、その習慣化が続くことで退屈してしまう。

フロー理論が言うところの、自分の能力に対する適度なチャレンジのバランスがベストである。

また、適度なバランスというのは、1/fゆらぎに照らし合わせるなら、それ自体が美しく快い。

しかし「適度なバランス」は聞こえとしては良いものの、逆説的に終わりのないバランス最適化の繰り返しが求められるし、そこに美しさを感じてしまう以上、麻薬のように中毒性のある概念だなと思う。ゆえに、抗ってもしょうがないなと思う。

常に均衡状態である必要はない。どちらかというと動的平衡。

出たり入ったり、増えたり減ったり、発散したり収束したり、ある程度のゆらぎの中でバランスを取る。ゆらぐためには余白が必要。

バランスとはかくも難しい。

子供という存在≒遺伝子のビークルとしての宿命を感じる

この数年の一番の変化は、子供が産まれたこと。

そして、子供を愛おしいと思う感情がこんなに自然と湧くものなんだと自覚したこと。

ひいては、子供の今後を取り巻く環境。つまり社会的な事象に対して距離感が近く感じるようになったこと。

それらすべて、結局人間も、サル目ヒト科ヒト属の動物に過ぎないのだと痛感する。動物や植物として究極の目的は、子孫繁栄。

無意識的に、感情や思考もそこに寄せられているなと思う。

システムに駆動されるこの肉体はクローンか?
否、記憶と経験が刻む固有性

人間もイチ動物でしかなく、その大半の思想や行動は、遺伝子や進化を経て獲得されたプログラミングコードに過ぎない。

生物学、遺伝学、生態学、文化人類学を調べていると、人はいくつかのパターンに分けられるし、メインの行動原理が共通していると感じる。つまり類型化できるしカテゴライズできる。

とすれば、「究極的に人間ってのは、個々人の差はなく、ヒトという種が今後も存続するためだけに動くクローンなんじゃないか?」とも思う。

理屈ではそうなのかもしれないけど、その事実は少しさびしい、とも思う。

そんな折、『なぜ脳はアートがわかるのか』という本を読み、その内容に救われた。

詳しくは本書に譲るが、要は脳内のベースとなる処理はみな共通している。しかしどうしても、個人の記憶と経験により処理が分岐する部分もあるとのこと。

同じ絵画を見ても、人により抱く感想が違う。ここまでの文章を読んで思い起こすことも、みなそれぞれ違う。

それこそが個々人の記憶と経験の有用性の証拠である。

せっかくなので、この4年半での会社に関わる記憶と経験を、一部抜粋しておく。

  • 無理言って日曜に面接して頂いたおかげで入社できた。当時の上司、社長に頭が上がらない
  • 事業を創りに入社して、半年で事業部が解散し、それを告げられた日に涙した
  • 次の部署ではいきなり衝突から始まったが、最も思い入れが詰まった事業部になった
  • 問い続けることの重要性、体現することの強さをボスから教わった。本当に感謝しています
  • すべてのきっかけを作ってくれた社長には改めて感謝しています
  • Special Thanks チームMOSHの皆さん。業務委託をしていた2年が今の自分に与えた影響は大きい。ありがたい限り。

というわけで、この思い出たちもまったく無駄ではないと安心した。よかった。

いつも未来に驚かされていたい:期待なき没頭が作る希望、があると信じていたい

メジャー・レイザーのキューバ公演を追った『Give Me Future』っていうドキュメンタリー映画を観てたら、映画に登場するあるキューバ人女性がまったく同じことを言ってるの。「わたしは人生に多くを期待はしない。むしろいつも人生に驚かされていたい」って。

イリイチは晩年に「『未来』などない。あるのは『希望』だけだ」って言い遺しているんだけど、これも、なんかだか似たようなことを言ってるようにも思えて。未来に期待をして、予測をして、計画をしていくことで、ヒトも人生も、開発すべき「資源」や「材」とされてしまうことにイリイチは終生抗い続けたんだよ。

 『いつも未来に驚かされていたい:『WIRED』日本版プリント版刊行休止に関するお知らせ』

長々と書いてきましたが、最後はこれに尽きます。
これまた、上記引用元の本文に詳しくは譲りたいところですが、
狂気と安寧の狭間で葛藤する人間として、子を持つ親として、それらの固有性を持つクローンではない人間として、やっぱり希望を作っていきたいと思います。バランスという麻薬を嗜みながら。

というわけで、次のフィールドでも、希望と思い出づくりに没頭していきます。

2021→2022 旅のように生きる

年末年始を初めて東京で過ごし、初めて妻と子供と3人だけで過ごした。

両親・祖父母と会わず、友達にすら会わずに気がつけば年明けを迎えた。

紅白歌合戦は一瞬見て、箱根駅伝は往路の2区までは見た。



去年は、緊急事態宣言が明けた10月以降に友達家族とよく遊んだ。

大学の頃から気づけば10年以上が経過し、お互いの子供が戯れている光景を、10年前に誰が想像し得ただろうか。



一方で、昨年の8月~9月に心身ともに参ってしまい、トンネルに迷い込んだ。

仕事も生活もままならない状態に陥ることを、その数ヵ月前の自分ですら想像し得なかった。

メンタルクライシスは誰にでも起きる。起きて初めて学んだ。

山あり谷ありな1年ではあったが、総じて楽しい期間になった。



今年もサービス/事業≒仕事に没頭した。

マーケティング・デザイン・プログラミング・ロジスティクス周りが多く、年の終盤にはリアルプロダクトにも手を出したので、例によって広範囲を横断した。

「自分は何屋なのか」と自問することもなくはないが、「PMでありBizDevであり、何でも屋である」ことに違和感はない。

もっといえば「誰よりも考えて誰よりも手を動かす人」でありたいしその実に変わりはないので、名称はその時々に都合の良い建付けがあればいい。

産業、企業、事業、ステージによって何屋にでも変化するのが自分だと思っている。



年末はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』を読んでいた。

『銃・病原菌・鉄』で有名な彼のその後の著作である。

前作以上に壮大なスケールの人類史を眺めつつ、スピッツ草野マサムネのラジオ番組「ロック大陸漫遊記」を聞きながら、途中に流れた『醒めない』を聴いていたら天啓がひらめいた。



人生は旅(≠旅人なのかもしれない

人生は何かに例えられがちだ。

人生はRPGである。という例えがあるけど、それはレベルが上がって次のステージに進んでいくという進歩史観のニュアンスがあるのであまり好きじゃない。

生き方に優劣も、勝敗も、進歩も退歩もない

旅も同じように、進歩はない。 ただの移動であり、浮浪に近い。

だけど傍観するだけの旅は物足りない。

ゆく先々の地勢、食、文化、言語に浸り切ってその世界に生きる。旅先が変われば世界は変わる。

異なる世界を行き来する、同一の人物として自らを捉える。ゆえに分かること、気づくこと、見つけられることもある。

そして旅は、結果ではなく、過程が楽しい。

数字に目が行く生活をしている中で、この先へ、もっと先へと焦る心を、強制的に道中へと戻させてくれる。

この着想と、前述の仕事における何屋でもない自分のスタイルを連想するに、人生は旅なのかもしれない。

年末年始に、2022年はどう生きようかとぼんやり考えて出た結論が「旅のように生きる」である。

少なくとも自分は、旅というコンセプトを真ん中に置くことで、精神的に楽になる。

上昇志向も必要ないし競う必要もない。

しかし怠惰に生きたいとは思わない。

色々な場所(産業、企業、事業)で多彩な景色を見たい。そのための努力はしていきたい。

旅人ではないが、旅のように生きていきたい。

あけましておめでとう。

Thanks,mosh.jp

2019年の3月から、気づけば2年間、MOSHに携わっていました。

先日一区切りを迎え、せっかくなので少し記録として残しておこうと思います。

僕が見ていたのはMOSHにおけるごくごく一面に過ぎず、また各人の内面においても限られた側面しか知り得ていないと思っています。MOSHを貶めるような発言はいっさいしていないつもりですが、もしあればそれは僕の文章力です。ごめんなさい。問題ありましたらご連絡ください。

さて、こんなインターネットの隅っこで過去の事実だけを振り返っても面白くないので、各人への感謝を記して個人的な振り返りに代えたいと思います。

籔くん

まずは、声を掛けてくれてありがとう。福井の名店・秋吉で食事したり、テルマー湯でサウナを教えてくれて気づいたらMOSHに携わっていました笑

あの頃まさに、創業メンバー間での危機を乗り越えた直後だと話してくれたのを覚えています。

その時、「何がいま一番難しい?」と僕から質問して、「視座を高く保つ難しさ」、という話をしていたのも覚えています 。

そしてまさに、現在の視座をもって、2年前に戻れたらもっともっと力になれることはあっただろうと思うと、悔しさはあります。

また、ヘルシーさという表現はチープかもしれないけど、それが籔君とMOSHの1つのよさだと思っています。一方で、時に怒りや、破壊衝動みたいなものすらもっと表に出すことで、強まる力もあるのではないかと思いました。フィードバックというにはおこがましい、何となく思ったことのメモなのでその程度の話だという捉え方をしてもらえると幸いです。

なんにせよ、変化し続けるbboy&moshの未来はこれからも純粋に応援しています。

かずきくん

かずきくんという親しみやすい人間がいたおかげで、MOSHに長く携わることができました。

まさかこの歳になってカラオケを楽しくできる友達ができるとは思ってなかったです。

かずきくんは一生の友達になれると思っています。願わくば、もっと色んなことを話して、語りたかったね。

結局ご飯に行くタイミングを逸したので必ずどこかで。

村井さん

僕は村井さんの好奇心の強さと、自分でやってみなければわからない、というスタンスに好感を抱いてました。

また、「呼吸するように仕事する」というウルトラハードワーカーな面は、完全に同じタイプだと思っています。

次は三宮で飲みましょう!

来来

MOSHの面々に初めて顔合わせをしたあと、確か2回目にオフィスに行った際にらいらいがいたと記憶しています。

当時の僕はグラフィックデザイナーとあまり接したことがなく、変わった感性の人がなる職業だと思っていました。そして、ある種それは当たっていたと思います笑

会うたびに新しい知識や仮説を、それはそれは楽しそうに話してくるらいらいに会うのは、MOSHのオフィスに行く楽しみの1つでした。

らいらいが加わったMOSHは、見るのが楽しみになるサービスになるんだろうなとワクワクしています。

りえちゃん

2020年、彗星のごとく現れたりえちゃんのパワフルさにビビりました。MOSHののんびりした雰囲気のメンバーにはない、ゴリゴリと事業進めたるぜという気合の入ったスタンスにみんな引っ張ってもらっていたと思います。

個人的には特にこの半年ほど、なかなか自分の出力が追い付かず、すまぬ…と思っていました。

またいつか、一緒に仕事しましょう!



※もちろんその他の人にもめちゃくちゃお世話になり、思い出もあります。
きりちゃん、りのさん、めぐろさん、くず、ひろいさんetc
総じて、本当にみんな良い人で、実直で、能動的な人たちばかりでした。1人1人が持ち場で輝いて、さらに拡張し続けていたので自分も負けないようにしていきます。
と、思える人が集まっているのがMOSHの強さだなと思います。


MOSHが自分に与えた影響

MOSHが僕に与えてくれたモノは3つあります

1つは、ユーザーと対話し向き合うということは、対話することだけではなく、プロダクトの内容や、サポートやプロモーションにおける言葉尻や端々にて行うものである。それはカルチャーや、採用人材にも滲み出てくるものであるというのを肌で感じることができました。

2つ目として、外部環境の変化が与えるインパクトの大きさも理解しました。逆に言うと、内部要因の磨き込みは順調なので、外部要因に対していかに働きかけていくか、という2個~3個くらい上のティアにおける仕込みの重要性が、今なら十分理解できます。

最後は余談ですが、この年齢になって、何の共通点がないところからでも友達ってできるんだなと思いました。

今後のこと

釈迦に説法というか、僕が明文化することではないと思いつつも、改めてMOSHのビジョンを応援しています。

自分の人生に向き合って仕事している人間が増えることで、愚痴や恨みつらみ妬みといったネガティブな発信をする人が減ること。その世界はすごく健全だなと100%思います。

今後のことは未定ですが、高みを目指していれば、いつか道が交わることもあると思っています。

高みで会おうぜ。by ポートガス・D・エース


最後に

いまMOSHには、素晴らしいメンバーがどんどん集まってます。

皆さんぜひ興味持って頂ければ、損はしないと思います。

勝手に採用情報のっけておきます。

MOSHの採用情報はコチラ


本当に最後に

そして僕も、余力がある範囲でサービスグロースのお手伝いができるので、よさげな人材探してる方がいましたらお声掛けください。

インドア人間がアウトドア事業を続けるワケ。囚人のジレンマ/現世利益/帰巣本能の話

今の会社に入ってもうすぐ3年が経つ。

デジタルじゃなく物理が交わる仕事、都市及び都市居住者ではなく地方に関わる仕事。という観点からアウトドアに行き着いた。

3年経ったが、相変わらずインドア人間なのでアウトドアの趣味は身についていない。

にもかかわらずアウトドアの仕事はやっぱり続けたいと思えるのはなぜなのか。
自分で不思議に思ったので、今回はそこに対する仮説の備忘録。


アウトドア事業を行うということは、長期視点を持つことを要求される。

つまり必然的にサステナビリティを意識する。
※ここでは「サステナビリティ=自然環境のサステナビリティ」を意図しています

通常の事業における登場人物は、企業とユーザーとなる。
ユーザーが企業であったり政府や行政という場合もある。

アウトドアは企業、ユーザーに加えてフィールド(自然環境)が必ず必要となる。
フィールド無くしてアウトドアは成り立たないし、文字通り自然と一心同体のビジネスであるため、その自然が消えて無くならないよう、いわゆるサステナビリティを意識しながら事業を考えることになります

そもそもなぜサステナビリティが必要なのか

ここから先は、一般的に言われている論理とは異なり、完全に個人的見解です。

サステナビリティが必要な本質的理由は、
「子供や孫の世代のために美しい自然風景を残したいから」「自然環境の破壊が続くと人類までもが生きられないから」といったものではないと考えています。

結果的に美しい自然や動植物が残り、人類が存続することになるかもしれないけど。

「サステナビリティが担保される→自然の存続→ハッピー」の因果は違うのではないかと思っています。
また、何となくこういう話って自分からは遠い話というか、ともすればヒステリックor宗教のように受け取られることもあるかなと思います。

なので、「サステナビリティが担保される→人間の行動が変わる→現世利益+(ついでに)自然の存続」ではないかと考えています。

サステナビリティを担保することで、なぜ人間の行動が変わり、(将来ではなく)現世利益に繋がるのか

前提として、多くの場面において、人間の行動は囚人のジレンマに陥っていて、みんなで協力しようという関係にはなれていないんじゃないかなと思っています。
また、それはハッピーではない状況だと思っています。

※囚人のジレンマ↓
「協力」よりも「裏切る」方がお得だと思ってしまう状況。

出典:『ferret』

皆が協力し合うなどどいう理想的関係がありえるのかもわからないです。
ただ、自分だけ良ければいいという状況よりは、やっぱり協力し合える状態の方が幸福だと思うので、ゴールはそこであるという前提を置いています。

さて、では囚人のジレンマはどうやって解決できるのでしょうか

そもそもなぜ囚人のジレンマに陥るかというと、それはこの世が、この関係が、1回限りだと思ってしまうからです。

その場しのぎの施策・政策、一方的に搾取する契約、ワンナイトラブ(これは一概に悪いコトとも言えないが。。。)
これらは当事者たちが単発/短期のやり取りを想定しているから発生しうると思っています。
どうせもう会うこともない、関係が続くわけではないなら、自分都合な選択肢を取ってしまおうぜ、と普通はなるよね。

この場限りの関係性ではなく、この先何年も続くのだと思える関係性においては、自分勝手な行動はしづらく協力し合う機会が増えると思います。だってその方が長い目で見ると得だから。

つまり、囚人のジレンマを解決するためには、この世は永続的であり、人生は長期的ゲームなのだと思う必要があると思っています。

その永続性担保のために、まさにサステナビリティが必要だと思っています。

なのでまとめると、

サステナビリティが担保される→ゲームは短期ではなく永続的になる→協力し合った方が得だと思う(囚人のジレンマを突破する)→協力関係を築くという行動につながる→個々人の利益(現世利益)につながる

という、上記の理由によりサステナビリティが必要だと思っていますが、結局は人類を主語にした場合に限っての必要性だとも思っています。

つまり、

「地球の歴史に比べたらここ何万年かの人類の繁栄などとても短期間の細かい話であって、人類のためのサステナビリティなど、単なるエゴなので究極はどうでもいいのではないか?」

そう思います。
全くもって、人類が存続し続けなければいけない理由なんてないです。

なので個人的には、サステナビリティとは人類の存続のために必要である、などど言ったところでいまいちピンとこないし個々人の思想により意見の割れる話だと思っており、結局は自分の幸せにつながるから必要だと思っています。

「子供や孫の世代のために美しい自然風景を残したい」という情緒的な理由は、あるに越したことはないけど副次的であると思う。

極論、サステナビリティが無くとも人類の幸せが担保できるのであれば、サステナビリティは不要だと思う。だけど、少なくともまだしばらくは、山、川、海、そして動植物無くして人は生きられないので、一旦はいまの地球環境つまりはサステナビリティが必要なのだと解釈しています

また別の論点として、生き物の本能として種族の繁栄を願う限り、やっぱり人間として人類の存続を願うのは、まぁそんなもんかなと思います。
田舎で生まれ育った人間として、地元が消滅してしまうのは悲しい、どうにかしたい。そんな、ある種の帰巣本能みたいなものとして、結局は人類は生き延びてほしいな、とは思います。

最後に、そんな壮大な論点とは別にして、アウトドア事業を続けるすごく個人的な理由

自分は生き物や自然、地理が好きです。ですが、そういう自然・生き物関連のビジネスでお金を稼ぐのは難しいです。

動物園で働くのか?自然の研究者にでもなるのか?と問われても、なかなかそうしたいとも思えない。

自然ビジネスの現実的なマネタイズポイントがキャンプや登山、釣りであると思っています。現時点では。
だから僕個人として、その事業を手段として本来好きな生き物や自然についての好奇心を満たしていけるので、アウトドア事業を続けている。という話でした。

論理的なようで論理的ではない話を長々と書いておきながら、結局は「好きだから」という身も蓋もない話で締めます。

ご清聴ありがとうございました~

去りし夏、越える夏、迫る夏。気づけば夏は終わり、夕焼けが美しい

夏だ。圧倒的に、夏。だった。

これを書き始めたのは真夏だったのに、光陰が矢の如しとなってしまい、気づけば秋の足音まで聞こえてきた。


今年も、順当に夏だった。

朝起きて、むわっとした空気も。クーラーが効いてきて涼しいと思うのも夏。

甲子園で熱いトーナメント戦がなくても夏。

けたたましい蝉の鳴き声が、Zoomに拾われて会議の邪魔にならないだろうかと心配だった。



夏が平然とやってくるが如し、未来はやってくる。

明けない夜はないように、時間軸で見た時の未来は、必ず訪れる。

1年後、5年後、10年後。

どの未来を思い描こうか自由だが、それが良い未来なのか、悪い未来なのか、そこそこの未来なのか。どう想像できるだろうか?

もっと言うと何をもってそれを善しとするのか。
思い描いていた通りだから良いのか、去年と比較した時に良いのか、他人と比較してみると良いのか。

自分は、理想とする未来に近づけたい。それでしかない。そうであってほしい。


閑話休題。

猿の毛づくろいとゴシップ、という話があります。

ダンバー数の法則で知られるロビン・ダンバーさんの研究及び主張によると、猿にせよサピエンスにせよ、霊長類を主とする一部の哺乳類は1日のうち20~30%をコミュニケーションに費やす。

そのうち6割は、人間関係における話題、つまりゴシップであるという。

ゴシップにはそれだけ、本能的ニーズがあるし、普遍性がある。

これは議論の分かれるところだが、本能的に求めているからといって幸福になれるとは限らない。のではないかと。

自分の未来を直視せず、人のゴシップを楽しみ続ける時間の先に、幸せはあるのだろうか。

あっという間に今日は終わるし今週も終わるし今年も終わる。

そんな限られた持ち時間の中で、他人のゴシップを気にしてもしょうがない。

と言いたい気持ちをグッと抑えて、誰かのゴシップ話に付き合うことも、あるにはある。


寄り道のお話し終わり。



7月から組成した今のチームは、実はすごく忙しい。

仕事の範囲性をグッと拡げ、大上段から細部まで一気通貫で責任を持つと決めたので、質×量の4象限で一気に右上に上がってしまった。

が、それと正比例して、めちゃくちゃ楽しい。


チームでは、ある共通認識を持っている。

「この1年は、全力で走り切ろう」

みな、いつまでもここにいるわけではない。
人それぞれの道がある中で、偶然にも出会ったこの期間、このチームで過ごす時間を、振り返った時に胸張れるものにしよう。

そういうルールを持つことにした。

限られた持ち時間の中で、出会える人も、費やせる時間も無限にはない。

やるからには、持てる限りのリソースをインプットして、最大の感情をアウトプットしたい。

それこそが、自分が理想とする未来への道だと思っている。


そして、喜怒哀楽を一体化させた時にしか、見えない景色がある。

そこまでしたから、事業を成長させた時もあるし。そこまでしたのに、事業撤退を決めて泣いたこともある。

どっちも振り返ってみればいい良い景色だったし、それが思い出として刻まれる。


次の夏は、笑って乾杯してるはず。甲子園を眺めながら

寝不足で不自由で穏やかな心

先日、子供が産まれた。

まずは無事に産まれてくれた子供に、そして産んでくれた妻に本当に感謝したい。

それから2週間近く経ったいま。

子育てをしていると、心が穏やかになる。

というと、きれいごと過ぎるのでその真意を言葉にしたい。

誰かの愚痴、嫌み、妬み、恨み、それらを目にして耳にして、心が荒む経験はないだろうか。 日々の隙間から、ネガティブな言葉、感情は忍び込んでくる。

だからこそデジタルデトックスだの、スマホを置いて旅に出よう、自然と触れてみようなどと喚起される。

それもいい。必要だと思う。

でも、人ひとり、自立できない命を預かってしまえば、”日々の隙間”がまず無くなる。
いやな感情も、棘のある言葉も、入り込む余地がなくなるのだ。

もっと切実に言えば、そんな余裕がまずない。
誰かの恨みつらみ悲しみアンニュイな気持ちに寄り添っているほど暇ではないのだ。(というと言いすぎだし、大切な誰かの喜怒哀楽にはいつも並走していたいし、そのくらいの余裕はまだある)

表現を変えるなら、圧倒的没入感がある。

これはある種、僕が目指している世界であり、最もつくりたい感情の類でもある。

自分にとって大切なものに全力を注いでる時、他人のことなど気にならない。それは尊い時間だと思うから。


ただ、現実的な話をすれば、自分の時間は減った。

本を読む時間は少なくなり、テレビも観なくなったし仕事もギリギリこなしてる感、というより常に追われている感はある。

睡眠も細切れなので、肉体的負荷は高い。
疲れている。

でも確実に、心は穏やかになった。少しだけど。

というわけで、子育て2週間目の経過報告。

寝不足な日々も、子供の顔を見ればがんばれる。
なんて言葉の意味も、少しはわかるようになってきた。

電池とアルミホイル

けさ、PC立ち上げて早々にマウスの電池が切れた。

そろそろかなーというサインはここ数日あったので、家の単三電池を探した。けど、単四電池しかなかった。

どこか単三電池置いてなかったっけ?と妻に尋ねたら、

「単四電池セットしてアルミホイルで隙間埋めれば使えるんじゃない?」と返ってきた。

「???????」

「マジで????」

やってみたら、ほんとに動いた。

これ、常識なの?みんな知ってるもんなの?僕は感動しました。



コード書けても、筋肉があっても、マネジメントができても、意味がない。

電池とアルミホイルを使いこなせなきゃ、現代は生きられないぞ。

ちょうどアルミホイルも切れたので、まとめて買いに行こう。

清く正しく泥臭く

外に出れなくても歳はとる。

20代は終わるし大学は卒業するし高校生活も終わる。

赤ちゃんはハイハイを覚えるし老齢者の余命は減る。

思うところがあるならば、思うようにしたらいい。

遺伝子死すともミームは死せず。

“諸君狂いたまえ”

と松陰先生は言った。らしい。

狂っていきましょう。着実に。

声をきこうぜ

おうち時間が増えている。

みなさん、おうちで何してますか?

僕は人との会話が週一のMTGだけになりました。あとは家族と適宜電話。

そんな状況なので、寂しさを紛らわせるためにラジオを聞く人が増えているとかいないとか。

個人的にここ3、4年は音声コンテンツにハマっていてせっかくなので日頃聞いているものをまとめます。
もし気になるものがあれば、おうち時間のお供にどうぞ。

Podcast編

一宿一飯
20代の4人組が、毎回「普通」の人をゲストに招いてお話を聞くポッドキャスト。ゲストはもしかしたら、昨日電車であなたの隣に座った人かもしれません。

ニーナの今週も仕入れてきましたよ
ベンチャーキャピタルANRIの江原ニーナさんが、スタートアップの主に調達ニュースを仕入れてくる番組。もしかしたらstand.fmに移行したかもしれない。

rehash.fm
IT界隈のニュースや話題、そしてアニメについてお話ししている番組。

LOGOS presents CAMP RADIO
MEGUMIさんが毎回ゲストを招いてキャンプやアウトドアの楽しい“外遊び”を伺っていくトーク番組。

ノウカノタネ
「農業の世界を知れば人生の”食べる””働く“がもっと奥深くなる」 社会の最底辺から根幹を支える若手農家の雑談を垂れ流す、井戸端ポッドキャスト 。らしいです。

Rebuild
説明不要。最も古くからある?著名エンジニアの方々の番組。IT界隈ポッドキャスターの目指す場所。

mercan.fm
メルカリ社内の音声版オウンドメディア的な番組。

フィッシングトレイン
釣具販売のキャスティング社による釣り情報番組。僕は釣りをやらないので、話していることの95%理解できないですがなんとなく聞いている。

伊藤洋一のRound Up World Now!
経済番組です。週一で情報拾うために聞いている。

TENGA presents Midnight World Cafe ~TENGA 茶屋~
TENGAの番組です。以上!

主に日本の歴史のことを話すラジオ
ただの歴史好きなパーソナリティ2人が歴史をテーマにあれこれと雑談をするポッドキャスト番組。

Modern Syntax Radio Show
主にIT業界の方をゲストに迎えてお話ししている番組。

engineer meeting podcast
ITエンジニア3人によるあれやこれやの雑談番組。

backspace.fm
一週間分のテック・ガジェットニュースを配信するポッドキャスト。1エピソード平均で2時間以上あるので非常に長いです。

Takram Cast
東京・ロンドン・ニューヨークを拠点に様々なプロジェクトに取り組むデザイン・イノベーション・ファームであるTakram社による雑談、考察番組。発見が多いのでオススメです。個人的には、議論の引用元となっていたり、紹介されている本を買うことが多い。

TAKRAM RADIO PODCAST
同じくTakram社の渡邉康太郎さんによるラジオ番組の、完全収録版。ラジオの方も聞いている。

Automagic Podcast
Webやアプリのデザインの仕事に携わる長谷川恭久さんが、今活躍していらっしゃるプロの方を招いていろいろな話をしている番組。

The Potluck Cast
アメリカ・サンフランシスコやニューヨーク、時々東京の気になるプロダクトや企業、ブランドについて異なる角度から読み解いている番組。

白と水色のカーネーション
日々日常の出来事の記憶、雑談のお話し。

こんにちは未来 〜テックはいいから
音楽、アート、政治、ビジネス、ライフスタイル、メディアまでカテゴリーにとらわれず縦横無尽に語りつくすトークセッション。

ゼロトピック – Zero Topic
みんな大好きYamottyさんの独り言番組。勉強になります。

ゆとりっ娘たちのたわごと
知る人ぞ知るゆるふわ番組。

Off Topic // オフトピック
米国を中心に最新テックニュースやスタートアップ、ビジネス情報をゆるーく深堀りしながらご紹介する番組。

未来授業
「FMフェスティバル 未来授業~明日の日本人たちへ」のレギュラー番組。

ドングリFM
みんな大好き、なつめぐさんとなるみさんの番組。基本的に面白い&ためになるよ。

飯田浩司のOK! Cozy up!
朝のニュース情報番組。基本的にニュースはこれで確認してます。

こちカブ~こちらaukabucom投資情報室
前日の海外市場の情報や解説から、その日の東京市場のポイントなどを話す朝の株式投資情報番組。基本的に経済情報はこれで確認してます。

FASHIONSNAP.COM ポッドキャスト
FASHIONSNAP.COM がお届けする注目のファッションニュースやトレンド情報を話す番組。なんとなく聞いている。

その他:更新が停止していたり、ほぼ更新していない番組など
ホシハヤトとヒルティのインターネット汁
ひいきびいき
スタートアップ
ヤバイホームページ屋さんのPodcast
Podpatch
だんごゆっけの平和な話
にゃにゃにゃラジオ…etc

Radiotalk編

ピーチフルの駅徒歩20分ラジオ
都内在住OLのピーチフルが仕事終わりの駅徒歩20分、歩きながら喋りる番組。

サイコーの飲み会がしたい
こじらせ女子大生が飲み会で話したいようなことを好き勝手話してるラジオ。

FREE AGENDA
メルカリでグロースを務めてきたヒカルさんと株式会社10Xの創業者&代表であるYamottyさんがビジネスやテクノロジー、スタートアップなどをトピックに話す番組。
YouTubeに移行したっぽい。
と思ったらnoteにも移設してました。

ラジオ(radiko)編

INNOVATION WORLD
ラジオから東京、そして日本をイノベーション!テクノロジーの進化を追うラジオプログラム。

INNOVATION WORLD ERA
真鍋大度、後藤正文 (ASIAN KUNG-FU GENERATION)、のん、小橋賢児の 4 人のクリエイターが週替わりでナビゲートして各界のイノベーターをお迎えしてイノベーションの種をお届けする番組。

村上信五くんと経済クン
「経済初心者」の村上信五さんが、ゲストの方に教えを請いながら「お金」に強くなってゆく番組。らしい。

TAKRAM RADIO
デザインファームTakramの渡邉康太郎さんが、いま注目するひと、場所、アートや音楽をピックアップ。未来を切り開くインスピレーションをお伝えする番組。

SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記
草野さんが、古今東西イケてるロックナンバーを紹介していく番組。

菅田将暉のオールナイトニッポン
ただただ面白い。いま一番放送を楽しみにしている番組かもしれない。
しかし今週からリモート収録になり、作家さんとの意思疎通が難しそうで面白さ半減しておりもったいない…

VOICES FROM NIHONMONO
中田英寿さんが日本各地で出会った文化、伝統、食の数々。その土地でしか出会えない「にほんもの」の声をとどける番組。なにげに好きです。

SHOWROOM主義
SHOWROOM前田さんがあれこれ喋る番組。

マスメディアン 妄想の泉
ハヤカワ五味さんが起業家やクリエイター、アーティストなど迎えてあれこれ喋る番組。

問わず語りの神田伯山
講談師神田松之丞改め、神田伯山のぼやきラジオ。何も考えずに聞けます。

番外編
SCHOOL OF LOCK!
10代に異常な人気を誇るモンスター番組。懐かしい…
10年間校長を務めたとーやま校長はこの3月で引退したようです。


以上、あれやこれやの音声コンテンツ紹介。ほとんど公式の紹介文を引用してます。

家事してたり移動中だったり散歩中に聞くことが多い。

Stay Homeで寂しくなったら

声をきこうぜ